スキノバ!

「好きな時間を伸ばす」「好きなことを伸ばす」「好きのある場所」をお届けします。

人を潤わす「応援」のこと

「存在するだけで愛おしい」という感情

約1ヶ月前、うちに新生児がやって来た。

妹の、息子。

私にとっての、初めての甥っ子。

 

親バカならぬ、

「おばバカ」「おじバカ」になる友達は

これまでも、たくさん見て来た。

だけど、私自身は

「おばちゃん」になったからと言って、

そんなに変わりがないと思っていた。

 

それは、私自身が多分ものすごく冷たくて

自分勝手なコドモだと思っているから。

自分自身が一番大事で、どこか冷めてる人間だって。

愛とか絆とか、そんなに大切に生きられてない。

 

それがこの1ヶ月、小さな小さな

甥を見てきて

ただ起きてて、ただ泣いてて、

ただ動いてて、ただ眠ってて

後ろ姿でも、もちろんこっちを向いても

なんというか、

存在自体が愛おしい。

生まれてきてくれて、

ここにいてくれてありがとう!って

気持ちになる。

 

生きているだけで愛おしいだなんて、

思ったのはきっとはじめて。

 

6歳下の妹たちは可愛かったけれど、

それってどこか

「妹だから」っていう部分があったと思う。

 

ものすごく恋愛体質な私は、

誰かのことを好きになったら

「全部が好きすぎる!!!」って、

変な寝癖とか、かっこ悪いところとか、

友達に「そんな男はやめろ」って

呆れられたり怒られたりするほど、

どんなところでも好きになってきた。

好きになるのに理由はなくても、

「愛しい、好きだ」ってことには

「恋に落ちてしまった」という理由が存在してた。

 

直感で生きているつもりでも、

私が好きになったり、「想う」ことには

それなりの理由があったはずだった。

 

いるだけで、愛おしい存在。

それって、なんかすごく泣ける。

私も、そんな時代があったのだと思うと

そりゃみんな、親孝行とかするよなぁって、

しみじみと思う。

 

(同じ理屈で「甥っ子だからでは?」って

 言われそうだけど、それは少し違う気がしてる。

 だって私、そんなにあったかい人間じゃないもん。)

 

 

甥っ子が生まれたのは、

ちょうどじいちゃんが亡くなった翌日で

じいちゃんには、

愛を惜しみなく抱いて、伝えることを。

甥っ子には、

ただ無償の愛を感じることを教えてもらった。

 

 

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私は甥っ子にお金は使わない!って言っていたのに、

ついつい買ってしまった…笑。

この上で眠ると安心するらしいの。かわいい。 

 

「ありがとう」って言われると、なんか変な感じ。

先日、SHOWROOMですごく幸せな時間に立ち会えた。

 

今、イチオシでハマっている、

シンガーソングライターの男性。

その彼の、SHOWROOMでのイベント最終日。

 

その日の、ラスト5分のドラマチックな展開は

今でも、空で思い出して胸がぎゅぅーってなる。

 

 

泣きながら歌う彼と、

すごいスピードで流れる激励のコメント。

飛び交うギフトの色とりどりな波。

 

画面が、アバターたちが、一体となっていた。

 

そして、歌い終わりに静かな時間が流れて、

泣き声だけが響く中、

結果1位の祝福の速報コメント。

 

女性が圧倒的に有利と言われているSHOWROOMで、

ラスト5分までは、

その差が11万ポイントあった状態からの

逆転勝利だった。

 

私はただiPhoneを握りしめて

手を震わせながら、呆然としていた。

胸だけはぎゅーっと苦しくて、それでいて鼓動が大きくって、

自分でも笑ってしまうほどの涙が溢れた。

 

そこには、色々なドラマや思いがあったようで、

途中からただ彼の歌を楽しみにするだけに通った私には

こんなことを語る資格もないのかもしれないけれど、

本当に、心底

「この場に立ち合わせてくれてありがとう」と泣いた。

 

「応援してくれてありがとう」

そんなことを言われると、すごく不思議な気持ちになる。

私は、私のしたいことをしただけだ。

何かのためでも、誰かのためでも、決してない。

 

「〜してくれたから」とか、

「〜だから」みたいな《きっかけ》なんて

そりゃ探そうと思えばいくらでもあるけど、

明確な理由とか、

ましてや目的なんて何もない。

 

「こんな気持ちにさせてくれてありがとう」

その方が、ずっとしっくりくる。

 

応援を受け入れていく覚悟

比べ物にならないほどちっぽけだけど、

私もSHOWROOMで配信をしてる。

 

先月のイベントでは、私も何度も泣いた気がする。

 

「こんな私が、

 何もできないこんな私が、

 応援してくれる人がいるだなんて、

 まるで別の人になったみたいだ。」

 

何度もなんどもそう思った。

 

私が誰かの好意を受けるなんて、

ありえないことだと思っていた。

ううん、むしろ。

人から応援されるだなんて

「何か」を求められる、プレッシャーなだけだって思っていた。

 

でも、もしかしたら違うのかもしれないと、

不思議な世界に迷い込んだ気がした。

 

そして私はやっぱり言った。

「応援してくれて、ありがとう。」

 

 

応援されたいとか、愛されたいとか

そんなワガママを願ってばかりの私だったけど、

そのための努力は

「〜してあげる」とか「〜な私になる」なんてことじゃなくて

応援される、自信と覚悟を持つことなんじゃないかと思う。

 

それだけ、まっすぐに、真摯に、素直に

堂々と生きていくことなのではないかと、そう思う。

 

(そもそも私は「〜してあげる」っていう言葉が

 その言葉自体がものすごくアレルギーなのだけど。)

(そしてでも、「〜してあげたい」「もっと楽しんでほしい」と

 思いやる気持ちはもちろん大事と思うのだけど。)

 

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応援をするということ

応援をするということに、

それを受け止めるということに、

理由や事情や目的なんて、きっと何も必要ない。

 

「この人を応援したい」

その気持ちが、そこにあるかどうか。それでいい。

 

応援を受け止めるということに、

後ろめたい気持ちなんて、必要ない。

 

受け止めて、力に変えて、前を向いて

もっともっと輝けるエネルギーにしたらいい。

 

そんなことを、考えている。

 

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